離婚を意識したら、自分の人生と向き合うチャンスなのかもしれません。離婚したいと思うほど、辛いことがあった。今の状況に耐えられない。そう感じている気持ちは嘘偽りのない自分の感情であって、目を背けても状況が良くなることはないから。
夫婦の問題って思っている以上に他人には理解されないですよね。
そんなことで?うちなんてもっとひどい。
そんな言葉にかき消されながら自分のモヤモヤは募っていく一方。
「離婚したい」という感情は何か一つの大きな問題というよりも日常生活での出来事に積み重ね、苦痛の蓄積なのに離婚したいと口にすれば
「何かあったの?きっかけは?」
「もう少し考えたら?」と諭される。
自分の中で離婚したいという思いが強くなってから周りに伝えると、なかなか理解されない。
別に理解してほしいわけじゃないんだけど、やみくもに考え直したら?なんて言われたらへこむしもう話したくないと感じる。
だから離婚したい、もう無理かもと思ったら記録として、証拠として、日記をつけてほしい。
毎日苦しい思いをしているのを証明するのはすごく難しい。
だけど日記は、それを手助けしてくれる。具体的にいつから悩んで、どんな思いで改善を試みてどのくらい苦しかったか。自分の軌跡として残る。
もしも離婚まで話が進んで、調停になったり裁判になったりした場合には証拠としての役割も果たしてくれる。
人間は、書くことによって頭の中を整理できる。自分はどう感じているのか。本当はどうしたいのか。
離婚して解放されたいと思っているのか、改善できるのであれば関係を修復したいと感じているのか。
本当は歩み寄りたい、相手に理解してほしいと思っているのか。
自分の”こうしたい”が見えてくる。
個人が尊重されるようになったこの世の中で、結婚したからといって耐えて耐えて、自分の感情に背いて我慢して、添い遂げることが正解とは思えない。
自分の感情を殺してまで続ける結婚生活に、なんの意味があるんだろうと思てしまう。
我慢して生きていくということは、結局は他人のために人生を生きていくということ。
その我慢は誰のため?自分?子どものため?それとも世間体?
離婚という言葉が脳裏によぎったら、自分の人生と向き合うチャンスだと捉えていい。
自分の感情と向き合ってみて、そこで再構築を目指して離婚を踏みとどまったとしてもそれは自分の人生を選択したということ。
一度立ち止まって、自分の気持ちと向かい合ってみたら
「こうなりたい」
が見えてくるかもしれない。
離婚を覚悟して話し合いを持ちかけると、吹っ切れた状態で話すことができるから相手にも気持ちが伝わりやすい。
喧嘩の延長で、本心ではない離婚という言葉を使うのは、信頼関係にひびが入るから反対だけど、考えて考えて考え抜いた結果、離婚したい気持ちを前提に話し合いをするとようやく相手に伝わった、というケースもある。
同じ夫婦なんてもちろんいないから、何がきっかけで相手に気持ちが伝わるか、もう無理だ。やっぱり離婚したい、と思うかは分からない。
だけど、自分の人生だから
もっと大切にしてもいいと思う。