結婚生活を続ける意味って何だろう。私がずっと考えていたことです。
いわゆる仮面夫婦。ママ友には仲が良いと思われている状態。だれにも相談できない。心配かけたくないから親にも言わない。
心の中では、結婚生活を続ける意味って何?こどものため?親としての責任?何のために毎日我慢しているの?
私の人生って何だろう。
こうやってどんどん年だけとって、幸せじゃないことを実感しながら生きていくのかな。
子どものためって言うけど、毎日毎日楽しくないと思いながら、ケンカが続いて泣いている私と暮らしていてこの子たちは幸せなのかな?
子どもの幸せって何?
子どもが成人するまでってよく聞くな。うちの場合、あと16年間か。
その16年、心を殺して毎日の生活に耐えて過ごしていくしかないのかな。
辛いな。
・・・こんな風に思っていました。
私が離婚を決断した1番の理由は・・・

子どもが成人するまで、20歳を成人として考えるとあと16年。下の子の成人まで考えるとあと18年。
私にとっては,「あと少しだから我慢しよう。頑張ろう。」なんて思える数字じゃありませんでした。
もしも、子供が二人とも「パパ大好きー!」というタイプだったら、まだ踏みとどまっていたかもしれません。
我が家の場合は、赤ちゃんの頃からパパの抱っこじゃ泣き止まない。
(これは、あたりまえですよね)
ここで父親である元夫が拗ねたことが、離婚へのカウントダウンのスタートだったんじゃないかと今振り返れば思います。
子どもの父親は、本気で拗ねているようでした。
この世に生まれてたった数ヶ月の赤ちゃんが、自分の抱っこで泣き止まないことに拗ねて『もう俺じゃ無理なんだよ』そう言って自分からかかわることを放棄した結果です。
子どもが1歳を過ぎると、少しずつ言葉も出てくるし、意思表示もしますよね。
赤ちゃんの頃に泣き止まないことが原因で拗ねてから本当に抱っこをしなくなった父親のもとには、当然よりつきません。
母親であるこちらが気をつかって、子どもの機嫌が良い時に父親と関わらせようとしても「いや、俺嫌われているし」とまさかの拒否。
当時の私は、それでも何とか父親に懐いてもらおう、パパと遊ぶと楽しいよ、など子どもを説得しては関りを持たせようとしていました。
少し改善の兆しが見えたので、1歳半の子どもを父親に託し、自分は美容院に行くことにしました。
父親が拒否しつづけた子どもとの2人の時間。
私の美容院の時間は1時間半でした。
初めて2人で過ごすことが心配で心配で、1時間で終わらせる予定が1時間半になってしまって大慌てで自宅に戻りました。
家の鍵を開ける前から聞こえる我が子の大泣きの声。
『やっぱり無理だったか』
と思いながら玄関のドアを開けると、ドアによりかかりながら泣いている我が子の姿。
玄関に父親の姿はありません。
子どもの頬には、涙の跡がついていました。今も泣いているのに、今涙が落ちているところではないところに涙の跡が残っていて胸がキュッと苦しくなりました。
ずっと泣いていたんだ。
悲しい思いと我が子に対する申し訳ない思いと、父親に対する疑問を胸にリビングに行くと椅子にうなだれて座っている父親の姿がありました。
わざとらしく首を傾けて猫背でうなだれて座っているように感じられ、私が帰宅したことに気付いているはずなのに、子どもが泣き止んでいることに気付いているはずなのに、無反応。
『俺だって精いっぱいやったのに。なんで〇〇(子どもの名前)はわかってくれないんだ?』
『いつも、ママママ、ママママ言って、俺だって親なのに』
『今日だって遊んであげようと思ったのに、ずっと泣いてばっかりだし』
吐き出すように言うので「この子もママと長時間離れて、寂しくて、この子なりに頑張ったと思うよ」と言いました。
勢いよく立ち上がり「どうせ俺が悪いんだよね」と言い残し家を出て行ってしまいました。
残された私は、とりあえず子どものことが優先だと状況確認をしました。
お水やお茶を飲ませた形跡もない、準備していたおやつを食べた形跡もない、おもちゃは散乱しているけど、、
この頃には子どもの機嫌もすっかり良くなっていてニコニコしながらお茶を飲み、おやつを食べていました。
頬の涙の跡がどうしても切なくて、この光景を一生忘れることはないだろうなと思いました。
父親が帰ってきたのは子どもが寝静まった後。
もう何も言うまいと思っていましたが、「やっぱ俺には無理だわ」先にそう言われました。
6時間ひとりになって冷静になったであろう頭で考えて、出てきた言葉がそれなんだな。
私の中で少しずつ何かが崩れていきます。
喧嘩が多いものの、父親の希望で2人目も生まれ母親としての幸せは感じる日々です。
子どもたちの成長はもちろん嬉しいし、子どもと過ごす日中は幸せ。
3歳になり、子どもももう自分の気持ちは言葉で伝えることができます。
「パパが怖い。パパは○○のこと嫌いなんだよ」そう言われた日、心臓がひゅんとなった感覚も鮮明に思い出せます。
3歳の子どもに、しかも愛する我が子にこんな悲しい言葉を言わせるなんて・・・
父親に本気で変わってほしいと思う私と、本気で子どもに変わってほしいと思う父親。
相変わらず抱っこもしない、子どもが話しかけてもスマホか漫画。
それなのに子どもに懐いてほしいなんて。
父親のことが好きになるように導いていた自分自身のことをとてもおかしく感じました。
喧嘩の原因はこの”逃げの姿勢”の他にもあったのですが、私にとって子どもが一切懐いていないというのは、離婚に踏み切るきっかけになったことは間違いないです。